神の律法: 毎日の黙想: 私はぶどうの木、あなたがたはその枝です。わたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたが…

「私はぶどうの木、あなたがたはその枝です。わたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません」(ヨハネ15:5)。

神から生まれず、神によって支えられず、神に至らない宗教にどんな価値があるでしょうか。人間の意志から始まり、人間の方法で進み、人間の栄光で終わる信仰は、命に満ちていません。主が初めであり、中であり、終わりでなければ、力のない形だけが残ります。だからこそ、私たちが内側を見つめるとき、どれほど多くのことを自分の思いで考え、語り、行ってきたか、そしてそれが決して永遠の実を結ばなかったことを認めざるを得ません。

神は私たちに、ご自身との親密さへと導く明確な道を与えてくださいました。主の戒めは、宗教心を養うためではなく、神ご自身のいのちへと導くために与えられたことを理解しなければなりません。従順だけが、主の教え、知恵、力の中に私たちをとどめます。神は従順な者にご自身の計画を明らかにされます。こうして信仰は言葉だけでなく、命となり、父はその魂を御子へと導かれます。

ですから、油注ぎも力もない信仰を拒みましょう。上から生まれ、上にとどまる従順を求めて生きましょう。神が初めであり、道であり、目的であるとき、霊的な人生は意味と堅固さ、方向性を見出します――そして、神から出ていないすべてのものは価値を失います。J.C.フィルポットより改編。主が許されるなら、また明日お会いしましょう。

一緒に祈りましょう: 愛する父よ、外側だけの、命も力もない信仰から私を解放してください。私が考え、語り、行うすべてのことにおいて、あなたに頼ることを教えてください。

私の神よ、あなたの御霊から生まれ、あなたの真理にとどまる誠実な従順へと私を導いてください。私が人間の知識に頼ることなく、あなたの絶え間ない導きに信頼できますように。

ああ、愛する主よ、あなたが私を、あなたに始まり、あなたに歩み、あなたに終わる信仰へと招いてくださることを感謝します。あなたの愛する御子は、私の永遠の君であり救い主です。あなたの力強い律法は、私の信仰の生ける土台です。あなたの戒めは、私の人生を支えるあなたの知恵の表現です。私は尊いイエスの御名によって祈ります。アーメン。



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